梅雨が明けて一気に夏本番です。今回「無事故論」最終章です。大いに気まぐれな“独自論”ですが、お付き合い下さいませ。

なお、ご意見・ご要望は直接中川までお寄せ下さい

t-nakagawa@nakatora.co.jp

2007/7/27「無事故論」5(最終)


 「安心」と「安全」
 “モノは生きている”と云う考えからすれば、モノ(バイクと全ての用品)との関係はとても重要である。
まず、“バイク”は丹精込めた整備が行き届き(バイクも喜ぶほどに)、安心して乗れること。
・・・更にこのことにより、“バイク”と“乗る人”との間に強い信頼関係が出来上がっていること。
・・・当然、身に付ける全ての用品(ウエア、ヘルメット、ブーツ、グローブなど)は全て身を守る為のものであるから「安全」を第一義として、選ばれるべきである(万一事故に遭っても、絶対安全な用品)。
・・・その意味では“信頼”出来る用品と云うことになる。
 そして、この“信頼”から生まれるのが“安心”であり、“人”があくまでメンタルな本質を持つ存在である限り、このことは大いに“安全”に繋がって来るのだ。
 “ヘルメット”を考えてみると、それが高機能、高品質にて、絶対“安全”と云うことは当然ながら、それを着用するのが“人”である限り、加えて“安心”出来るメンタルな面での要素が必要である。
 ヘルメットメーカーのA社の人に聞いたことがあるが、ほとんど“機械生産”のように見えるヘルメットだが、随分、手間をかけた“手仕事”の部分があるとのこと。日本製でもあり、“世界一高いヘルメット”でもあるが、それは“信頼”、“安心”に基く、本当に“安全”なモノ作りが行われていると云うことだろう。
 又、“グローブ”の場合、小物、アクセサリーと云ったイメージがあるが、そのハンドル、レバー、多様なスイッチ操作、更に転倒時の手の安全(手のケガは重大)を考えれば、非常に大事な“安全用品”と言うべきである。
 加えて、メンタルな要素を考慮すれば、“手作り”の作った人の“顔”の見える(出来れば日本製の)モノを着用すれば、(少し贅沢かも知れぬが)“安心”に基く“安全”なモノ選びとなるのではなかろうか。

以上、中川の「無事故論」5(最終)。



2007/7/12「無事故論」4

 “リスク”を恐れていたら“チャンス”も又掴めないと云うのが世の中だ。…“虎穴に入らずんば虎子を得ず”の諺の如く“チャンス”は“リスク”の中にある。そして、“ノーリスクはノーチャンス”で あり、更には“ノーリスクは最大のリスク”でもあるのだ。
 バイクに乗ることにより“事故”の“リスク”はあっても、そこから得られるものは、“リスク”を補って余るだけのものがある。
 遺伝子工学の権威であるM教授によると、人の持つ膨大な数(30億×60兆)の遺伝子のうち使われるのは、ほんの5パーセント程度で、後は使われること無く、人は一生を終わってしまうのだそうだ。そして、この遺伝子(DNA)に組み込まれたプログラムのスイッチをオンにするには、“歓ぶ”こと、あるいは“極限の状態”におかれることだそうだ。
 バイクに乗って、風を切る時の、あの叫びたいような“心地良さ”、“歓び”は人の持つ膨大な遺伝子(DNA)のスイッチを順に“オン”にしているのに違いない。
 ツーリングに行った後の爽快感、みなぎるパワーはこのことによるものだ。

 バイクにも乗らずに(ノーリスクかも知れないが)、家に閉じこもって青白い顔をしている生き方(遺伝子がほとんどオフ)がいいとは思えない。そして、乗るかぎりは限りなく100パーセントに近く“無事故”で乗れる状態を作り出して、回りの人達を心配させぬようにして、素晴らしいバイクライフを大いに楽しみたい。

以上、中川の「無事故論」4。



2007/6/21 「無事故論」3

 “モノは生きている”と云う、教えがある。ある会社の朝礼では、社員全員による朝礼の前に、 それぞれが使用する車のところに行って、車に向かって“本日も宜しくお願いします”と挨拶をするのだそうだ。
・・・そして、この挨拶をするようになってから、事故は無くなったと云うのだ。
・・・信じられないような話だが、“そんな訳がない”とは言い切れない何かがある・・・。
確かに、車でもバイクでも、何時も手入れを怠らず、大事にし、きれいにしている人は、それを怠っている人に比べて、断然、事故率は低いのではないだろうか。
更に“モノは生きている”と云うことからすれば、本当にバイクを大事にしている人は、恐らくバイクの気持ちが解り、バイクの声が聞こえるほどの世界にいるのではなかろうか。

 F1レーサーであったN氏の言によると、レース中に自分の車の位置は、上から見るように見えるとのこと。
・・・回りの車との位置関係が瞬時に認識出来なければ、優れた運転はできないであろう。
又、練習をしている時の話で、時折コースにヘビが出ていて、踏んづけてしまうことがあるそうだ。
その時車が来るのに気付いていたヘビは緊張していてやや硬く、気付いていないヘビは柔らかく感じるとのこと。
五感が最大に働いていれば、こんな“運転感覚”になるのだろう。

事故を起こさない為に、バイクを大切にし、感謝するとともに、一方、五感を最大限に働かせたライディングテクニックを身に着けたい。

以上、中川の「無事故論」3。



2007/5/11 「無事故論」2

〜こういうことであれば「事故」は起きないであろうと言ってみたところで、それは頭の中で考えただけのことで、実際の事故回避につながることとは別のことである。
・・・“明日”出掛けるツーリングに即、間に合う方法はないものだろうか?
〜そんなものは、ある訳がない。〜じゃあどうするのか?
・・・答えは簡単、なくても行くのだ。
〜そしたら、せめて、このことについて、どう考えるのか?

 昔、男が“戦(いくさ)”に出掛けるのに、安全が確保出来なければ、行かないなどと言っただろうか?あるいは“城籠り”をして、勝った武将がいるだろうか?まして“城籠り”で天下を取った話など聞いたことがない。・・・要は“戦”に出ながら、死なずに生き残った者にのみ、チャンスが与えられるのだ。そして、「運命」は“勢い”のある者を使い、「神」も“勢い”のない者には加勢のしようがないのだ。

 男が(女も同じ)一歩外に出れば、何が起きるか分からぬ。
“犬も歩けば棒に当たる”のだから、人間がバイクに乗って、何にも当たらない訳がない。
後は、運を天に任せて(全幅の信頼で)、思い切りツーリングを楽しもうではないか・・・。


以上、中川の「無事故論」2。



2007/4/9 「無事故論」1

“バイク”と云うと“事故”を思い浮かべる人は多いに違いない。“車”に比べて、危ないイメージがあるのは(2輪車ゆえに)当然かも知れぬ。“バイク”にとって無関係とは言い切れない「事故」について思うところを述べてみたい。

まず、当然のことながら、絶対事故を起こさない方法はないものだろうか。
それには、

1、高度の運転技術を身に付ける(白バイの事故は極めて少ない)。
2、バイクの整備を怠らない。
3、当然、交通ルールを遵守し、無理な運転はしない。

以上の3点を徹底すれば、相当程度「事故」は防げるのではなかろうか。

更に、これに加えて、「事故」回避の“勘”を養うことが大切である。
…それには“感”(直感、直観、更には霊感?)が的確に働くような状況を整えておかなければならない。

その整えなければならない“状況”には、

1、万全の“体調”。
2、心の余裕(ゆとり)。
3、強靭にして、シャープな体質。

更には、“運”であるとかの“要素”が加わって来ると思われるが、この“運”も又、強くする方法はあるのではなかろうか。

…それには心(更に“魂”)の強さと健全さを持つことだ。…良くない“運”又、因縁(土地因縁、自縛霊の類?)に引っ張り込まれないだけの…。

以上、中川の「無事故論」1。



2005/10/31 「バイク道」

 剣道、柔道、華道、茶道と日本人が取組めば皆“道”になるが、バイクも“道”にはならないだろうか。「剣道」の場合、その目的のところで「剣の理法の修練に基く人間形成の道」と詠われているが、果して「バイク道」の場合はどのようなことになろうか。
 「バイクの持つ素晴らしさを最大に活かして、健全にして力強い人生を創造する」とか云うことになろうか。

それには具体的には、

1、 マナーが良い。
2、 ライデイング・テクニックを磨き続ける。
3、 バイクを大事にし、手入れを怠らない。
4、 運転を通して、身に付けた“リスク回避能力”を仕事や人生に活かす。
5、 バイクに感謝し、その歓びを社会にお返しする。

 このようなことが徹底やれれば、それは“「バイク道」を極めた”ことになるのかも知れない。…どうせやるなら(乗るなら)「バイク道」を極めるほどに…と、意気がっている此の頃である。諸兄、諸姉のお考えは如何でしょうか?



2005/6/21 「バイク名馬論」

 
自分は剣道をする(現状五段)こともあってか、「日本男児は“侍”」と云った意識がある。そこで、バイクに乗ると、あの風を切る心地良さにあたかも侍が馬を駆っているが如き心境になる。昔、武将は出陣に備えて、常時馬の手入れをし、かつ“地乗り”を欠かさなかったという。当然、“名将”ともなれば俊足の名馬を飼い、常々愛情を傾けた念入りな世話を怠らなかったのだ。一旦戦場に出るや、馬と生死を共にした訳だから馬に寄せる愛情たるや並々ならぬものがあって当然だろう。
 この点、バイクは男(侍)にとって、正に“名馬”に酷似していると言えないだろうか。自分の“愛馬”は「カワサキW650」。野を走り、山を越え、高速に乗っても、正に“馬力”に不足はなく、シーンに応じた走りを憎らしいほどに見せてくれる。もう、愛しくて仕方がない。こんな名馬を手にすると、自分の如き“迷将”も正に“名将”の心地で痛快この上ない時間を過ごせる。正に“名将が名馬を駆る”が如き心境なのだ。こんな心境はバイクならではで、車ではなれないものね。
 男(侍)なら、馬(バイク)に乗ろう!! あ、女性のライダーもいたっけ。
 あ々そうそう、昔から、女も馬に乗ったのだ。…その昔、木曾義仲軍には“巴(ともえ)”と“葵(あおい)”と云う二人の美しい女侍がいて、特に“巴”は“勇婦”の聞こえ高く、名のある武将と互角以上に渡り合ったという。戦場に出れば、“巴”と“葵”は二匹の美しい蝶が舞うが如く、義仲の前後を守ったというのを本で読んだことがある。…そう言えば、バイクに乗る女性って、皆きれいでカッコイイものね。(少しサービス)



2005/5/20 「バイク救命論」

 “バイクに乗る”と言うと、“そんな危ない、それにええ年して”という返事が返ってくることがある。確かにバイクに乗ると、絶対安全ということはない。けれどもそのメリット、デメリットを比較すれば、メリットのほうだ断然大きいのだ。
 そこで突然話が飛ぶが、昨年の日本の自殺者は3万4千人とか。ウツ病とかとなるとその約百倍の3〜4百万人にもなるとのこと。次にそこまで行かなくとも、いつも元気がないとか、十分仕事に打ち込めてないとか、という人が全体でどのくらいいるかとなれば、もしかしたら日本人男性の半分以上が当てはまるかもしれない。
 “生きている”というのは単に心臓が動いているということではなく、ヒトとして持てる力を如何なく発揮して、他人が見ても、活き活きとパワフルに輝いている状態をして言い得るのではないだろうか。そうすると、危ないことは一切せぬが、“生きて死んどる(でいる)”状態にある人が多いと言えるのではないか。昨年の自殺者の中で、中高年の男性の割合が多いという。又その原因はリストラとか破産とかといった経済的理由によるものが多く、その数は平均寿命を引下げたほどとの記事を見たことがある。確かに東京に出張して電車に乗ると、“〇〇線”人身事故の為、××分遅れと云うのを割りとよく耳にし、他人事とは思えぬ暗い気持ちになることがある。
 自分は15年ぶりのリターンライダーであるが、あのバイクで走るときの爽快感たるや、叫びたいほどの快感、が体を貫く。“魂”が歓喜するほどではないかとも思う。ウツになって飲む精神安定剤如きの、何百倍の効果があるはずだ。事実、自分の知合いでバイクに乗り始めて、見違えるほど元気になった人を何人も見ている。
 自分自身が中年男だけに、中年男を何とか元気にする方法はないものかと痛感している。その為の有効な選択肢の一つが「バイク」だと思う。だから世の奥様連には、ご亭主がバイクに乗りたいと言い出した時には、くれぐれも、巻頭に出て来たセリフは言わないで欲しい。
 バイクに乗って、元気になって、ウツとかになる人が減って、当然自殺なんかする人も減り、もしかしたら日本人男性の平均寿命を僅かでも引上げるほどのことも可能かも知れぬ、そんな素晴らしいバイクライフのプレゼンをし続けることが自分の使命と、最近マジで考えるようになった。
 “生きて死んどる”世の中年男性よ!!バイクに乗って、本来の元気を取り戻そう!! そして、世の為、人の為、何よりも愛する人の為に、持てる本来の力を発揮しようではありませんか!!


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